いじめは100%いじめる方に問題がある。何があろうといじめていい理由などないのだ!

威勢の良いタイトルをつけてしまいましたが、過去にいじめてしまった経験がある嘉藤です…。

今日は、ずっと目を背けて来たイヤな自分に目を向けてみたいと思います。

私が加担したいじめは『仲間はずれ』です。

中一の時でした。

4、5人のグループで連んでいた私達の仲間に入りたそうにしていた子がいたのですが、みんながなんとなく入れたくないと感じていたんですね。

近くに寄って来ても輪に入れてあげず、極端に避けていました。

いじめている側にいた人間ですから、申し訳ないことにどれほどの期間避け続けていたのかはハッキリとは思い出せないのですが、一年生の一学期の終わり頃から二年生になるまで続けていたと思います。

そして本当に最低なことに、今思い返してみてもなぜ仲間に入れてあげたくなかったのか、理由が思い当たりません。

『ただなんとなく』って…仲間はずれにされた方はたまったもんじゃないですよね。

でも、事実です。

今は本当に申し訳なく思っています。

なぜあんなことをしてしまったのだろう。

あの子は毎日どんな思いで学校に通い続けていたのだろう。

私達のいる教室で過ごす時間がどんなに長くて憂鬱で辛かっただろうと…。

その子と話をしたのは一年生のはじめのころが最後で、二年生になりクラスが離れてからは全く疎遠になりました。

今更私の顔など見たくもないでしょう。

もう私のことなんか忘れているかも知れない。それならそれでいい。でも、もし今でも忘れられないでいるとしたら…。たとえ許してもらえなくても、今からでも謝れば、彼女のモヤモヤが少しは晴れるのかも知れない。

そんな答えの出ない自問自答を、もうずっと繰り返して来ました。

いじめは、いじめた方を傷付けるのは当然ですが、それと同時に、自分のことも傷付ける行為だったことを今頃になって知りました。

彼女に負わせた傷とは比較にならないほどちっぽけな傷ですが…。

最近街中で彼女を見かけました。

一瞬、目が合ったような気がしました。

でも、何も言えなかった。

今さら当時のことを謝っても、私がスッキリするだけなのかも知れないと思ったんです。でも、そう言われても構わない、とも思いました。

だけど結局、何を言っても軽はずみな言葉になる気がして、声をかけられませんでした。

楽しくなるはずだった、彼女の一生に一度の『中一 』を、思い出したくない色に染めてしまったのは、私です。

でも、今改めて思うのです。

私も何人かの人たちに、今でも忘れられないイヤなことを言われたりされたりした経験があります。

その人たちが今、私に謝ってくれたらどう思うだろうと想像してみると、素直に嬉しいと感じることがわかったのです。

それでやっと忘れられるのかもしれないと思いました。

いじめてしまったことは謝らなければなりません。

そして私が謝っても、許す・許さないは彼女自身が決めること。

彼女が私と同じように嬉しいと感じるかどうかはわからないけれど、万に一つでもその可能性があるのなら、やっぱり謝りたい。

だから、今度どこかで見かけたら、その時こそきちんと謝ります。

マナちゃん

あの時はごめんなさい

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