月がこわかった

ロックバンド“THE YELLOW MONKEY” の代表曲にバラ色の日々という曲がある。

追いかけても追いかけても

逃げていく月のように

指と指の間をすり抜ける

バラ色の日々よ

 『バラ色の日々』作詞・作曲/吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)より一部抜粋

という歌詞から始まるこの曲は、言葉にピッタリとマッチしたキャッチーな曲調が耳に残る、言わずと知れた名曲だ。

耳にしたことのある人ならば、老若男女問わずこの歌詞をメロディに乗せて脳内再生することは容易いだろうと思う。

この曲では主人公は月を追いかけているが、私は幼少の頃、どこへ行ってもついてくる月が怖くて怖くてたまらなかった。

それも、のぼったばかりの“満月”が。

私の生まれ故郷は、車で少し走ればすぐに田んぼや畑が現れるような田舎町だった。

普段家にいる時ならば、わざわざ夜にカーテンの向こうへもぐって窓から空を見上げたりしなければ月が目に入ることはない。

問題は、父方の祖母の家へ遊びに行く日がたまたま満月時期と重なった夜だった。

当時の自宅から父の実家までは車で10分ほどで着く近距離なのだが、道路の周りは田んぼと畑の連続で、視界を遮るものは何もなく、東には低い山があり、自宅から北へ向かう道中にはその低い山からのぼったばかりの赤黒い大きな月が、車の窓から延々私をのぞいていた。

月が人の顔のように見えていた。

左に曲がれば後ろからついてくる。

右折をすると右前方から私を覗き込む。

そしてもう一度右折をすると、正面で待ち受けている満月が私を見て笑ったような気がした。

祖母の家に泣きながら入り、母が大人たちに私が泣いている理由を話して一緒に笑っている。

多分2歳か3歳くらいの頃だったと思うが、今でも覚えている。

そして大人になった今でも、東の空からのぼったばかりの月の色と大きさは不気味に感じる。

自分でもよくわからないが小さい頃から感受性が強かった。

みんなが見ていた“亡くなった祖父のスライドショー”を見て、会ったこともない祖父の写真なのに見ながらワンワン泣いたのも3歳頃だった。

それから、親戚の叔父が母に話しかけるのが嫌だなと感じることがあった。

最近になって聞いた話によると、その叔父が原因で母の姉と妹が険悪になったままらしかった。叔父が妹にも手を出したようだ。

もちろんそんなことを小学校に上がる前の私にわかるわけはないのだが、どうやら私の危険を察知するアンテナが反応したようだった。

『私の母に手を出すな』『私の家族を壊すな』と。

(尚、現在そのアンテナは夫に反応するようマイナーチェンジした模様(笑))

でも、月を見てこわいと感じる理由は今でもよく分からない。

でも、他の動物と同じように、人間にもそういう一種の“センサー”のようなものがあるような気がしている。

スピリチュアルな物なのか。

自分に流れる先祖代々の血(経験・体験による危機回避能力の遺伝など)によるものなのか。

その辺のことはよく分からないし、どうであろうと対して興味もないが、そのセンサーが働くためにはある程度自分がニュートラルというか、ボーッとしすぎず、かといって緊張もせずといった精神状態でいる必要があることも感覚として知っている。

“遊び”というか“余裕”というか、進むことも止まることも右へ行くことも左に行くこともできるような状態とでもいうか…。(うまく言えない)

最後に、そんなちょっと高度(?)な感覚を持つ子どもだった私が、追いかけてくる月によって泣きながら祖母の家についた日の記憶をもうひとつご紹介して締めます。

叔母から『三華ちゃんは大きくなったら何になりたいの?』と聞かれた私は、口から出る言葉に任せて天真爛漫に答えました。

『すずめ!』

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