盗み癖からの考察

突然ですが、私には大好きな恩師がいます。

高校時代の国語の先生で、私達の卒業とともに定年を迎え、現在はゆっくりとした毎日を送っているおじいちゃんなのですが、今でも年賀状やラインで連絡を取り合っている仲です。

国語の先生だというのに言葉使いが少々乱暴で、字は雑で…時々板書が読めないことすらありましたが(笑)、いつも生徒と同じ目線で話をしてくれて、人を選ばずに接してくれる良い先生でした。

そんな先生に以前、次男がお友達のものを盗んで来てしまった時のことを、恥を忍んで相談していました(過去記事参照)。

今日はそのことを。

私は人の行動の裏には必ずなんらかの理由があると思ってずっと生きて来ました。“そう決めつけていた”と言った方が正しいかもしれない。

だから、次男が他人のものを盗んでしまった時、瞬時に“次男がそんなことをしたのは私が怒ってばかりだったせいだ”と決めつけようとしていました。

次男が私にそう言ったのならまだしも、私は次男の行動を見ているふりをしながら、それを自分の話にすり替えていたんです。

なんで次男が盗みをはたらいたのかがわからない。怖い。

直らなかったら困る。

でも私がなんとかできるなら解決できる。

だから私がこうすれば次男は盗み癖を直せるはずだ。

と…。

当の本人であるはずの次男が、私の脳内では完全に蚊帳の外でした。

それに気がつくきっかけとなったのが、恩師からの返事でした。恩師からの返事の冒頭には、思いもよらない言葉が綴られていました。

困ったね。

盗癖は難しいね。

自分もそうだったから。

…まさかと思いました。

学校の先生たる方の中に、盗み癖のあった(ある)人がいるなんて思いもしませんでしたから。

そこでまず頭を殴られたような衝撃を受けました。

そしてその後の先生の言葉でさらなる衝撃を受けます。

今でも原因も理由もわからない。

なんだって?!

80歳目前の先生が、今でも自分のしたことの理由も原因もわからない??

なんてこった!!!

カミナリに打たれたような衝撃とはこのことかと思いました。

だって、その答えが知りたくて先生に相談してみたんですもの。ましてや先生本人が当事者だったことがあるのなら、先生なら絶対に理由を知ってるはず!って一瞬で思い込みましたから。

以下先生の話です。

小6の時に友達の家で数人で遊んでいて、棚の上に置いてあったりんごと500円玉を持ってきて、その日のうちに警察に通報され、母親と一緒に事情を聞かれた。

母親には「今度同じことがあったら死ぬ」と泣かれたけど、全然直らなかった。

中学生の時は特に酷かったが、たまたま捕まらなかった。

大半が文房具だった。誰かに脅されたわけでもなければ、それほど必要なものでもなかった。

高校から先は、どうしてかわからないけれどもやらなくなった。

周りには大人になっても直らない者がいる。

“優秀だった自分”とは比較にならないだろうね。(←盗んだりしたことのない私の目線で次男のことを考えたって答えなど出ないぞという意味だと解釈しています)

これを聞いて気がついたんです。

またしても自分が次男の声を全然聞いていなかったことに…。

だって次男は泣きながら私に向かって同じことを言っていたから。

『なんでかわかんないけどやっちゃうんだよ』って。

それじゃあ直せないじゃない!

なにか理由があるはずでしょう?!

そんな思いから、私は次男の必死の訴えを退けて自分の意見を押し付けていました。

そこに気がついてからは、次男との話し合いが加速しました。

次男の話に傾聴することだけを考えました。

とつとつと話し出す次男の言葉をそのまま受け止める。

あぁ、自分が他人に一番求めていることを、自分が我が子に出来ていなかったのか…。

どうして自分のこととなると毎回見えなくなってしまうのか。

大切なことは、次男の行動の答えを探ることじゃなくて、次男の話を聞いて寄り添ってあげる姿勢だったのに…。

ごめんね次男。

さて。

最近の次男の様子ですが、落ち着いています。

相変わらずの“なんでも欲しがり病”ですが、これもあれこれ理由を探すのをやめて、“好きなものに囲まれていたい性格なんだなあ”と割り切れるようになりました。

肝心の盗み癖の方も、今ではすっかりなりを潜め、先日は『お店で大人の人が小さいおもちゃを盗んでいるところを見たよ((((;゚Д゚)))))))』とコッソリ教えてくれました。

『ぼくもうあんなことしたくないよ!』

揺らぎのない次男の言葉が嬉しかったです。

“素敵なものが目の前にあって、いいなと思ったから持って来てしまった”

それが次男の出した答えで、それが全てです。

親の愛が足りない云々とか接し方がどうのこうのじゃなくて、次男が話したその事実をまずそのまま受け入れることが、親として一番最初にやるべきことでした。

変なうんちくを挟むから訳のわからんことになっていたのです。

自分で勝手に複雑にしていたけど、答えは実にシンプルでした。

『自分(親)のせいでこうなったのかも…』と自分が思っているほど、親の影響は大きくないのかも知れない。そんな考え方はむしろ親の奢りなんじゃないかと今は思っています。

子どもには子どもなりの考えがあって、自分の意思で動いている。

親が自分のせいではないとまるまる放棄するのは無責任ですが、かといってなんでもかんでも親が自責の念に駆られすぎるのも、事実を曇らせてしまう原因なのかもなと思うようになりました。

子どもの問題だからなんとかしてやりたいと思うのをグッと堪え、親が肩代わりすることは出来ないことを肝に銘じる

これに尽きると思っています。

“わからないことをわからない状態のまま受け入れる”

これこそが『ありのまま受け止める』形なのでしょう。

私に必要なのはそういった“余裕”でした。

白黒ハッキリしないと気のすまない性格が、またしても子育ての足を引っ張っていたようです。

また一つ、“気付き”を得たような気がしています。

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