スマホのニュースウィジェットに目を惹く記事が流れてきました。
“山梨の18歳、親に付けられた名前「王子様」を改名 女子生徒に笑われるのがショック”
というものです。
これを見て真っ先に思い出したのが、1993年に我が子を『悪魔』と名付けた両親が、不受理となったことが納得できないとして役所相手に裁判を起こし、あろうことか勝訴してしまうという騒動です。結局両親は子どもの名前を『阿久』と命名し、役所にもそのまま受理されたということでしたが、「それでも“アク”ってつけちゃうか…」とモヤモヤしてしまいました。
子どもの名前をつける権利が親にあるからといって、どんな名前をつけてもいい訳じゃないってことがどうしてわからないのでしょうか。
そんなに変わった名前を付けたいのなら、自分の名前を改名したらいいと思います。
そういう意味では「王子様」も同じと思っています。
親はそれがいいと思っても、『変な名前!』と思う人が大半だということがわかっているなら留まるべきです。
…まぁそれがわからないから名付けたんでしょうけれど。
保育園や幼稚園で、小学校で、中学校で、高校で、子どもがその名前をみんなからからかわれて嫌な思いすることが想像できませんか?
自己紹介で『〇〇王子様です』というたびにみんなからクスクス笑われることぐらい考えるまでもなくわかるでしょう。
それは笑った子たちが悪いんじゃなくて、全部名付けた親の責任なんですよ。
馬鹿にした子を黙らせたって何の解決にもなりません。
その子が黙ったって、また別の子にからかわれるだけなのですから。
その度にやっつけに行くおつもりですか?
その度に親が出て行って守ろうとする気持ちがあるのなら、どうして初めからもっと子どものことを考えて名付けてあげなかったのかとどうしても考えてしまいます。
名前は立派で馬鹿にされないものを付けてあげて、家の中で好きなだけ「王子様」と呼んでればいいんですよ。スネ夫だって家に帰ればスネちゃまだし。(…わたしからしたらそれもどうかと思いますけど)
それにその子がお爺さんになることを考えたんでしょうかね?
おじいさんに『おうじさま』って…。
どうしたって『おじいさまじゃん。』ってなるでしょう。
名前は一生使うものです。
それも、自分じゃなくて子どもがです。
その責任が重くて、長男の名前を考える時も次男の名前を考える時も夫と一緒にたくさん悩み、たくさん調べました。
呼びやすくて、でもありきたりじゃなくて、カッコいい名前はどんな名前だろうと。
今でも時々不安になります。
この名前で良かったのかと。
お笑い芸人に同じ名前の人がいて、次男がそれで友達にからかわれたことがありました。
その人の真似して笑わせてこい!といいましたが(笑)
江口くんがシエロと呼ばれたり、後藤くんが“ゴット”と呼ばれたり、れいとくんがトイレと呼ばれたりするのと同じレベルで、誰しも通る道だといいました。
子どもが自分の名前を気にいるか気に入らないかはその子が大人にならないとわからないことですが、親が子どものことを思ってつけたとわかる名前をつけるのが親の義務だと思います。
自分が“悪魔”と名付けられたら、いつかその意味を知って『なぜ?』って思うでしょう。
自分は望まれていなかったのかと不安になったり、周りからも悪魔だとからかわれるうちに、本当に悪魔みたいになってしまったかもしれません。
一方“王子様”は、言葉自体は素敵でも、自分に“様付け”しちゃってる時点でそりゃあ聞いてる方はおかしいと思うでしょう。
様は自分につけるものではありません。(当たり前だ)
なので、せめて“王子”だったら彼も改名したいとまでは思わなかったような気がします。
もし自分が“お姫様”という名前だったら、絶対に親を恨みます。
『なんでこんな名前付けたんだ』と。
『せめて“町娘”くらいにして欲しかった』と。(そういうことじゃない)
親が付けたい名前を好き勝手に付けることは、子どもの立場を顧みない親のエゴです。
“キラキラネーム”(というよりDQNネーム?)はまさにその典型のような気がしています。
そしてその対極にある“シワシワネーム”は、キラキラネームに違和感のある親たちの答えのように思います。
どっちが良くて、どっちが悪いということではありませんが、
『お父さん、お母さん、いい名前を付けてくれてありがとう』
と、子どもが思ってくれるような名前をつけてあげたいですね。
おはようございます。
子供の名前は、付けるとこに色々と考えますよね。
キラキラメール流行っていますが
一生使うものなので、子供の立場で付けたいですね。