ドタキャンしたい飲み会

日にちが迫って来るに連れてどんどん憂鬱になる予定というものがあります。

直前に予期せぬ予定が入るか体調が悪くなることをひたすら渇望し、約束をしてしまった自分を呪い、だからと言ってドタキャンをする勇気もない。

で結局当日行くわけですが、行ったら行ったで十中八九楽しい。

…なんなんだろう。

気心の知れた友達との約束ではそんなことないのに、大人数だったり、そこまで親しくない友人や知人との飲み会になると発動する“行きたくない病”。

町内会の集まりとかPTAなら本当にめんどくさいけど、嫌いな人がいるわけでもなく、無理やり付き合わされたわけでもなく、自分から行くと言っておきながら気が重くなる。

…なんなんだろう。

で、今この記事を書きながら考えた。

この現象はなんなのか。

何がそんなに気を重くするのか。

出た結論は一つ。

“素の自分で居られないから”

自分では繕ってるつもりはなかったけど、どこかでカッコつけたり、無理したり、合わせたりしていたようです。

“一緒にいると楽な人”というのは、その人の前では素の自分を出せる相手のことです。

失言するとこっぴどく叱られるような上司との飲み会は、お酒が入ろうが酔うことも出来ず、ドッと疲れます。

あまり親しくなく、何を話せばいいかわからない相手の場合も、常に話題を探しながら話さなければいけないのでしんどいです。

機嫌を損ねやすい相手の場合は、地雷を踏まないよう言葉を選びながら話さないといけないので、神経がすり減ります。

喋りたいと思ったことを押し殺したり、思ってもいないことを口に出したり、いい人ぶって世話を焼いたり、メニューのチョイスにビビったり、サラダを皿に取り分けた方がいいのか悩んだり、誰かのお酒のグラスが空きそうになったらメニュー表を渡したり、「唐揚げにレモンをかけていい?」って聞かれて本当は嫌なのに『大丈夫(^^)』って言っちゃったり、一生懸命聞き役に回ったり、喋りたくないこと聞かれて顔が引きつったり、お会計の時まとめて払いに行って端数を自分で持っちゃったり、二次会行かないで帰りたいのに『いこいこ〜!』とか言っちゃったり…。

多分、一晩に起こり得るこんなことたちを脳みそのどこかで勝手に予測してしまうから、パソコンみたいに動きが鈍ってくるんじゃないかと思っています。

だから『行こう!』と言ったその場ですぐ行くのは大丈夫なのに、日にちが経てば立つほど同じことを考えて気に病む回数が多くなって、自己暗示みたいになって脳味噌がフリーズし出すんじゃないかな。

でも反面、自分の知らない面白い話が聞けたり、怖いと思っていた人と実はものすごく趣味が合うことがわかったり、愚痴を聞いてもらってスッキリしたり、逆に話を聞いただけで感謝されたり、自分の求めている情報が得られたり、ご飯やお酒が美味しかったりと、楽しいこともたくさんあるんですけどね。

だから頑張って行ったら楽しいんですよね。

人って、楽しいことよりも危機回避に重きを置く生き物ですからね。

人と付き合うのは面倒くさいことの連続で、面倒なことをやるには体力が必要で、体力がないから億劫で…。

そんなとこかなと思っています。

そういえば、若い時って元気が有り余っていたからか、誰との飲み会でもホイホイ参加していた気がします。

飲み会が億劫=(老化による)体力の低下

案外これが答えかも。

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