気になる夢の話

今日は夢の話です。

将来の夢、とかの方ではなくて、寝ている時に見る方の夢の話です。

夢の話は面白くないから他人にするな、なんて言われますが、時折“ただの夢だから”と切り捨てられないような不思議な夢を見ることがあります。

特に私の場合は、家族が病気になった場合に印象に残る夢を見ることが多いです。

実父が急性膵炎で緊急入院する前に(過去記事参照)、父が救急車で運ばれる夢を見ました。

たまたま見た夢だといえばそうなのですが、なんだか妙にリアルで気にかかっていたのです。日記の形で記録を残したのも、この夢が気になっていたからかもしれません。

叔母が亡くなったすぐ後に、とても穏やかな表情で夢に出てきてくれたこともありました。

最近見た夢で気になったのは、次男がEBウイルスによる伝染性単核球症を発症(過去記事参照)する少し前に見た夢です。

とても印象深い夢で、夢の中で自分に会う夢でした。

夢を見るときは今自分の目で見ているような映像でしか見たことがなかったので、自分の姿は当然見えないのですが、この時の夢は自分の目の前に自分が立っていました。

起きているときならドッペルゲンガーに会ったという状況です。

目の前に立っている自分は、1mほどの距離を空けて正面に立っているのですが、目線は自分の左肩方向にはずれていて、目は合いませんでした。

でもその表情がものすごく穏やかで、嫌な印象は全く受けませんでした。

“自分は生まれてから一回でもこんな表情したことあるか?”というくらい、安らかで満たされた表情だったんです。

今鏡の前でやってみても全然できない(笑)

夢の中のロケーションは、この夢を見る1ヶ月ほど前に家族で訪れた展望台でした。

その後、次男が立て続けにウイルスに感染して4ヶ月ほど不安と安堵を繰り返し、気持ちが不安定になりました。

その最中にふと思い出したのです。

この時見た夢を。この時に目の前に立っていた自分を。この時の自分の穏やかな表情を。

そして、不安に押しつぶされそうになりながら思ったのです。

今回のこの出来事で潰れそうになる自分を、未来から励ましにきてくれていたのではないかと。

“次男が心配で心配でしょうがないんだね。わかるよ。でも、大丈夫。心を鎮めて”

そんな表情だったように感じたのです。

夫や兄弟や友人に不安を聞いてもらう傍らで、あの時の自分の表情を思い出し、鏡の前に立って“大丈夫”と呟いて自分を元気づけていました。

夢の中に出てきた自分のことを信じたいと思いました。

何をバカなことをと笑われてしまうかもしれませんが、渦中の自分にとっては心強い支えになったんです。

人の心は興味深いもので、状況は変わっていなくても、悪い方に悪い方に考え出すとどこまでも落ちていき、大丈夫と思うと大丈夫な気がしてくるものです。

だから、あの時の夢が未来の自分だったかどうかは置いといて、それが自分を鼓舞し、励ましてくれたことがとてもありがたかったです。いや正確には、夢の自分は何も喋らなかったので、表情から自分が勝手にそう受け取っただけなのですが。

以前に図書館で借りた、不思議な体験談がたくさん載った本にも、似たような話がありました。

夢の中で、目の前の人が事故に遭いそうになっているところを目撃し、思わず『あぶない!』と叫んだんだそうです。

その後何年も経ったある日、事故に遭いそうになってあわやという時に、後ろから『あぶない!』という声が聞こえたというのですが、振り返ると誰もいなかったということでした。

そしてその聞き覚えのある声が、ずっと前に夢の中で自分が発した声だったと後で思い出したというのです。

夢の中で危ないと声を掛けたのは自分で、声を掛けられたのも自分だったということなのです。

この話のことが事実かどうか確かめる術などないですが、私はこの話を信じています。

だってその方が人生ずっと面白い(^^)

何が本当で何が嘘かなんて、実は大した問題ではないです。

大切なのは自分が何を選択するかということ。

目に見えるものだけが真実ではありません。

昼間の晴れた空が青いのも幻影だというのに、どうして夢が幻だと断言できましょう。

自分が寝ている時に見た夢を“ただの夢だろ、つまらん!”と一蹴するか、現実の自分に取り入れて人生に彩りを添えるかは、結局自分次第です。

“私はどうせなら後者を選びたいかな”と思った、そんな取り止めのない夢の話でした。

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