“さかなクン”をご存知ですか?
良くテレビに出演しているのでご存知の方が大半かとは思いますが、さかなクンは“東京海洋大学名誉博士、客員准教授”というスゴい肩書きを持った、文字通り『おさかな博士』のタレントさんです。
先日たまたま“徹子の部屋”にゲスト出演していたさかなクンを見ました。
黒柳徹子とさかなクンの噛み合わなさと、さかなクンのすべりっぷりがなんとも言えませんでしたが(笑)、実は結構さかなクンが好きなので、そんなところも楽しく見ていました。
私的には、要所要所で『徹子さま〜』と言うさかなクンに対し、徹子さんがノーリアクションで普通に返すところがツボでした(笑)
徹子さんから「あぁたモノマネができるんですって?」と急に振られて間合いが取れずに『ああっ!はいい〜!』とか言っていきなり何か喋ったんですけど、『誰々の真似をします!』っていう予告もなく普通にさかなクンで喋ったので、モノマネも何もただの“さかなクン”でした😂結局アレ誰のモノマネだったんだろう…笑
しかも徹子さん、それも見事なまでにスルーしたので、スタジオの空気が凍りついて凄かったです(笑)
でも、その場で求められていることに一生懸命応えようとしているのに空回りしてしまう、さかなクンのそういうところが嫌いじゃなかったりします。(正確には“自分にもそういうところがあるので他人事とは思えない”というのが正しい)
徹子の部屋では、さかなクンが常にかぶっている“ハコフグ”のかぶりものを紹介していました。
夏用、冬用、ダイビング用、教壇用、冠婚葬祭用と全部でギョ(5)種類あって、TPOをわきまえるために帽子を使い分けているんだそうです。
写真でさかなクンがかぶっているのが教壇用。写真ではわかりづらいですが、大学の角帽のように上が四角くなっています。
テーブルの一番右側にあるのは、メッシュ素材で作られた夏用ハコフグです。
テーブル中央手前にあるのがあったか冬用ハコフグ、その後ろに見えている高さのあるのはダイビング用です。ウェットスーツと同じ素材で出来ています。
そして、テーブルの一番左の黒いハコフグが冠婚葬祭用です。漫画家の水木しげる先生のお別れの会に、さかなクンがこの帽子をかぶって参列したことが物議を醸しました。さかなクンにとってはこの帽子は皮膚の一部であり、場にふさわしいようにきちんと黒いものも用意し、本人はふざけているつもりなど微塵もないのですが、誤解する人がいるのもわかるような気がします。
個人的には当の水木氏はそんなさかなクンのことを重々わかっているでしょうし、恐らく気にもしていないように思いますがね…。
送る側が故人を思って取った行動ですから、他人がネットに載せてまでどうこう言うことでもないでしょう。
でも、さかなクンのそういった不思議な雰囲気や魚に関する博識振りを見ていると、さかなクンがどのようにして育ってきたのかが知りたくなりました。
そこで、さかなクンの著書を読んでみると、そこにはさかなクンの自由奔放な子ども時代のこと、探究心旺盛な性格がもたらした様々な出来事や、素敵な人たちとの出逢い、現在のお仕事のことなどが面白おかしく書かれている一方で、その裏には常にぶれずにさかなクンを見守る寛大なお母さんの姿がありました。
さかなクンがさかなクンに至るまで
さかなクンは東京都出身で、現在千葉県の館山市に住んでいます。
お父さんは日本棋院に所属しており、九段を持つ凄腕の囲碁棋士です。(北海道の帯広市出身ということで、同じ北海道生まれとしてちょっと親近感が湧いてます。)
幼少期にさかなクンにも手解きしたようですが、本人にその気がなく、さかなクンが勝負の世界に向かない性格であることもお父さんはわかっていたようです。
お母さんとお兄さんのことが著書の中で少し触れられていますが、家族についての公式な情報はありません。ご家族は一般の方でしょうから当然のことですね。
お魚のことでテレビや公演に引っ張りだこなさかなクンですが、さかなクンが2016年に書いた自叙伝“さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜”によると、一番最初に好きになったものはお魚ではなく“トラック”だったそう。
乗用車には興味がなく、あくまで“トラック”専門。
でもその後、トラックから妖怪へ、妖怪からタコへ、タコからウマヅラハギへと興味が移り、現在のさかなクンへとつながっていきます。
エピソードに出てきた“魚屋のお兄さん”との出逢いが、さかなクンの魚熱をより上げてくれたように思います。
“全くの他人の大人が自分のためにいろいろしてくれる”
そんな経験が自分にはないので、羨ましく思いました。
(詳しくは、さかなクンの本でご確認くださいね!)
そして、中学生の時に仲間と一緒にカブトガニを孵化させたり、高校生の時に初めてテレビチャンピオンの魚通選手権に出場し、1度目は優勝はなりませんでしたがのちに5連覇を達成、また、絶滅したと思われていたクニマスを発見したりといった偉業を成し遂げていくわけなんですが、トラックにのめり込んでいた時代から魚大好きになるまでの間、さかなクンのお母さんはいつもさかなクンのやりたいことをやりたいようにさせてあげていました。
さかなクンのお母さん
さかなクンは幼少の頃から、好きなことを自分の気の済むまで徹底的にやる性分だったそうで、公園で泥のおだんごを砂場の縁(へり)一周並べるまで帰らなかったり、大好きなお魚を見るために自転車であちこちのお魚屋さんを巡ったり、穴が空くほどお魚図鑑を読み込み、知識が頭に染み込むまでは他のことが頭に入らない、といったところがありました。
もしも自分の息子が日の暮れかけた公園で泥団子を砂場一周させるまで帰らないと言ったら、私なら砂場を一周させるのを見る前に『暗くなってきたからまた明日ね』と言って切り上げさせてしまうでしょう。
そういった時、私の脳は『息子が駄々をこねている』と判断してしまいます。
今の今までそうやって自分のペースに息子を引き込むのが当たり前になっています。
そして恐らく大半の家庭も同じようなところがあるのではないでしょうか。
でも、さかなクンのお母さんは違いました。
さかなクンの気が済むまで自由にさせてあげるのです。
そして、出来る限りさかなクンのそういった気持ちに寄り添う姿勢も徹底していました。
さかなクンがトラックが好きだと言えばサプライズでゴミ収集車の集まる場所へ連れて行ったり、…さすがに妖怪のときは“今日は子泣きじじいを見に行くよ!”というわけにはいかなかったでしょうが(笑)、タコが好きだと言えば魚屋さんでタコをまるごと1匹買ってあげたり、水族館に連れて行ったり…まぁそこまでなら私にも出来そうな気がしますが、水族館では1つの水槽に3時間も4時間もへばりついているさかなクンに根気良く付き合い、さかなクンの気持ちに共感する姿勢を貫きとおしてくれたんだそうです。(さかなクン談)
その上更に、『タコを獲って来て家で飼いたい!』と言い出すさかなクンに対し、水槽まで買ってあげたといいます。
結局いろいろあって自宅でタコを飼うことはなかったようですが、その後しばらくしてから海水魚を自宅で飼うことになります。
そしてそんなお母さんの凄いところは、さかなクンが知らないことは決して教えないことなのです。
さかなクンのお母さんというくらいですから、本当は方法を知っていたのかもしれませんが、さかなクンが自分で調べたり、成功や失敗を自分で経験することが、なによりも彼のためになることをわかっていたのでしょうね。
最低限必要なものは用意してあげるけど、そこから先は手も口も出さずに静かに見守る。
書けば簡単ですが、これを実行に移すにはもの凄く気力と労力を要します。
だって、自宅でタコを飼おうと思ったことがありますか?
うちでは私が好きで熱帯魚を飼っていますが「淡水魚」です。
息子にやらせるとかの前に、自分が好きで魚を飼うにしても、まず“海水魚は海水を管理するのは大変そうだ”と、やる前から物怖じしてしまい自分から飛び込むことすらできません。
早い話が“そこまでするほど好きではない”のでしょうが、でも逆にいうと、“そこまでのめり込んでしまうほど何かを好きになったことがない”ことに気付いてハッとしました。
そういうものに出会えること自体がとても幸せなことだということに、さかなクンのお母さんは気付いていたのではないでしょうか。
“さかなクンには寝食も忘れて無我夢中になれるものを見つける才能があり、しかも早い段階でそれにめぐりあうことができており、そして幸いなことに彼がそれにのめり込むことのできる環境は自分が用意してやることができるものだ”と…。
学校の先生から成績のことでお話があった時に、さかなクンのお母さんが先生に言った言葉たちが、私の頭の中に焼き付いて離れません。
(先生)「本当に絵がお上手ですね。彼の描く絵は素晴らしい。ただ、授業中も魚の絵を描いてばかりで、授業に全く集中していません。もう少し、学校の勉強もきちんとやるようにご家庭でもご指導していただけませんか。」
(お母さん)『あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです』
(先生)「しかし、いまのままでは授業に全くついていけていません。今後困るのはお子さんなんですよ」
(お母さん)『成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんないっしょだったら先生、ロボットになっちゃいますよ。』
(先生)「では、絵の才能を伸ばすために、絵の先生をつけて勉強をさせてあげたらいかがですか。」
(お母さん)『そうすると、絵の先生とおなじ絵になってしまいますでしょ。あの子には、自分の好きなように描いてもらいたいんです。今だって、誰にも習わずに自分であれだけのものを描いています。それでいいんです』
「さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜 さかなクン」 より抜粋
お母さんはさかなクンに一度たりとも「勉強をしなさい」とも「お魚のことはこれくらいにしておきなさい」とも言わずに、『大好きなお魚の絵を好きなだけ描くといいよ』とだけ言ってくれていたのだそうです。
これを読んだ時に、「自分も息子に対してどうのこうの」ということよりも、“自分も親からそんな風に言われて育ちたかった”という思いが先に立ちました。
こんなに全てを受け入れ、背中を押してもらえたら、今の私は一体どうなっていたのだろう。
私は息子たちを、さかなクンのお母さんが言うところの『ロボット』に育てようとしていました。
「輪を乱さず、やらねばならないことはきちんとやり、叱られないように立ち振る舞え」と…。
それでも長男は我を通しているけれど、次男は自身を失い始めています。
彼ららしさを取り戻すためには、さかなクンのお母さんの方針を参考にすることが近道のように思えてなりません。
とはいえ、私はさかなクンのお母さんではないので全く同じようにはできないし、する必要もないと思っています。
参考にしたいところは取り入れつつ、あくまでも“私流”にやることが大事だと思っています。
厳しいお父さん
実はさかなクンの書籍には、“通知表をもらう日は悪夢の儀式の日”とあり、普段仕事で不在のお父さんが、成績表を見たとたんに大声でお説教をするので、いつも怖くて仕方がなかったということが書いてありました。
しかもお寿司屋さんで!(笑)
周りもざわめくほどの大声だったようです。
お母さんはあとでこっそりと「だいじょうぶよ。何があったって命を取られるわけではないんだから」となぐさめてくれたと書いてありました。
でも、公衆の面前で大声を出すのはともかくとして、私はお父さんのこの感覚も、さかなクンには必要だったのではと思います。
お母さんはのびのびと育ててくれたけれど、お父さんが世間一般の目でさかなクンを叱ったことで、さかなクン自身がそこに気付けたのではと。
さかなクンがこの書籍の最後で、自分のことを“ぼくは変わりものですが”と表現しています。
彼は、自分が周りから“変わりもの”だと思われていることを知っており、そのことをちゃんと正面から受け止めています。
“変わりものだけど、それでいいんだ”と自覚しているのです。
自分が「変わりもの」だと客観視できる目をお父さんから、どうあっても「今のままの自分でいいんだ」と思える自信をお母さんからもらったのではないでしょうか。
いつもハイテンションで楽しそうに話すさかなクンですが、見えないところでは嫌な思いもたくさんしているはずです。
それでもまた頑張ろうと立ち上がることができるのは、本気で心配してくれるお父さんと、ありのままを受け止めてくれるお母さんと、大好きなお魚があってこそなのでしょう。
やっぱり大切なのは“バランス”なんだなぁとさかなクンを見てあらためて思いました。
長〜くなりましたが、最魚まで読んでくれてありがとう魚ざいました(^3^)