習い事をやめたいと言われたら?我が家の場合。

次男がこの頃滅入っています。

進級してクラス替えがあったことや、初めて男の先生が担任になったことも不安なようですが、一番は6時間授業の日が増えて遊ぶ時間が減ってしまったことがネックになっているようです。

我が家は長男も次男も習字・そろばん・剣道の三つを習っています。

月曜、火曜、金曜は学校から直でそろばん教室、水曜と金曜は6時から8時まで剣道の稽古、土曜日は午後から習字教室です。

習字は3年目、そろばんは2年目に突入、剣道はまだ1年足らずです。

私が小学生の時は土曜日も普通に学校があったので6年生でも6時間授業の日は2日くらいだったように記憶していますが、現在では6年生だと週4日ほど、3年生でも週2〜3日は6時間授業が組まれており、しかもその後からクラブ活動や習い事をやる子もたくさんいて、最近の小学生は目の回る忙しさです。

そんな状況ですので、案の定というべきか、次男がsosを出してきました。

とりあえず今一番やめたいものは何か聞いてみると、“剣道”という答えが帰ってきました。

稽古中に泣き出して、見学している私の所に何度も駆け寄って来ては『やりたくない』と訴えてくる始末でした。

学校から家に帰って6時から2時間の稽古ですから、若干7〜8歳の子にとっては疲れるわ眠いわで嫌になるのも無理はありません。

ましてや剣道をやりたいと言い出したのは長男。

もののついでに次男も一緒に始めたのでした。

見学に行って体験してみてその時は楽しいと思ってはじめてみたものの、続けていくうちに『そんなに好きじゃなかったかも…』と気付いたり、試合に出るのが憂鬱になったり、先を見てしまって『いつまで続けなくてはいけないのか』と途方に暮れたり。

子供心にもいろんなことを感じているようです。

そしてこの度、次男の希望で剣道をやめるという決断をしました。

普段は口数の少ない次男が、剣道の先生に直談判をしたと聞いて『これはマジだ』と思いました(笑)

でも、先生は『せっかく続けてきたんだし、今はまだ体力が無くて疲れているだけかもしれないから、いきなりやめると決めずに、少しお休みする形にしたらいいんじゃないかな』と言って下さいました。優しい先生です。

習い事を習わせる意義

さて。

そもそも習い事ってなんのために習わせていますか?

我が家は教育に力を入れている家庭ではありません。

成績にも大して頓着しませんし、最低限学校から出されている宿題をきちんとやっていれば良しというゆる〜いスタンスなわけですが、それでも何か習い事をと思う理由の一つは、やはり自分ができなかったこと、やりたかったことを子どもにできるようになってほしいという願いのような思いによるものだと自覚しています。

そこら辺でよく見たり聞いたりすることですが、子どもに自分のできなかったことをさせる親はどうしてダメだと言われるのでしょう?

子どもにいろいろなチャンスを与えてやりたいと考えるのは、親として当然の思いだと思うのですが。

“どうしてもやりたくないのに無理やりやらせるからいけない?”

でもそれは、やらせてみたからこそわかることですよね。

子どもがやりたいと思うことと、実際に出来ることに乖離が生じることはままあることです。

やりたいと思っていなかったことでもやってみたら面白かったということもあるし、やりたくないと思ってやってみたら、やっぱりやりたくなかったわ、ということもあるけれど、そのどれをとってみても、子どもにとって無駄なことにはならないと私は思うのです。

今はやりたくなくても時期が来たらやりたくなるかも知れない。期が熟した時に選択肢の一つとして上がり、『前にやっていた』という経験が再度挑戦する際に敷居を低くしてくれることも考えられます。

そして次男にとっての剣道が、これに当たります。

現に、試合を経て少し稽古をお休みしている間にも、次男の気持ちに変化が生じているのを感じているのです。

やめたいやめたいと言っていた次男が、長男と一緒に面を付ける練習をしていたり、次男の口から出ていた「やめる」という言葉が、いつのまにか「休む」に変わってきたり。

次男の「やめる」という言葉は「休みたい」という意味だったのかもしれないなと休ませてから感じるようになりました。

次男がこのままやめたいと言うのならその思いを尊重しますが、次男が剣道の面白さに気がついて『やっぱりやる!』と言ってくれることも内心期待しています。

野球でもサッカーでもピアノでも英語でも、習い事全般において言えることだと思っています。

子どものやりたいという意思にだけ任せていたのでは身につかない能力というものがあります。

子どもが大人になってから『あの習い事はやっても意味なかった』と言ったとしても、無駄だとわかったこと自体が収穫だ、くらいに思って割り切ればよいことです。

それに世の中に出ると、やりたくないことでもやらねばならないことがたくさん出てきます。

そういったことに免疫をつけておくことも必要だと考えています。

自分のやりたいことだけやって大人になって、職場に出た時に初めてやりたくないことをやる場面に直面するなんてことにはさせたくないのです。

『できません』

『やりたくありません』

誰だってやりたくないことはあるけれど、それでもなんとか頑張れば乗り切れるという経験こそが、我が家が習い事をさせる上で一番身につけさせたいスキルだったりします。

次男は今回一旦リタイヤしたけれど、その分そろばんを頑張ると自分から話しています。

今やっている習い事をやっていて良かったと気がつくのは、もっとずっと先のこと。

でも、きっとやってて良かったと思う日が来ます。

面倒臭がってもなんとか自分でいくうちは、背中を押してあげたいと思っています。

『やめたい』と言われた時の返事は決まって“やめてもいいよ”です。

『今日はどうしても嫌だ』という日は休ませることもあります。

それでも子どもたちはやめずに頑張って続けています。

そんな感じで、今日も習字の稽古に向かった息子たちです。

習い事の目的はいろいろ。

やりたいこともできることも人それぞれです。

何を習おうと、何をやめようと、何一つ無駄なことなどありません。





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