今年の五月最後の週末、祖父のお墓参りのために日高まで行きました。
母の生まれ育ったその場所は自然に溢れ、たくさんの馬がいる町です。
この三ヶ月後に大きな地震が来て、この辺り一帯も震度5くらい揺れました。
お馬さんたちもさぞビックリしたことでしょう。
いつもと変わらない一日に躊躇なく襲いかかり、生き物も建物も何もかも巻き込んでいった大地震。
自然の威力の前に、人間の無力さを思い知らされた痛烈な一日でした。
それでもそんなの知らん顔で季節は巡り、地震の爪痕を隠すように北海道の大半は雪で覆われてしまいました。
私たちも地球を壊さない努力をするから、地球も私たちの暮らしをあまり大きく壊さないでね、という思いです。
義經神社
話が横道に逸れてしまいましたが、5月のお墓参りの際に、以前から行きたかった“義經神社”に寄ってもらって参拝してきたのでご紹介したいと思います。
心臓破りの階段(笑)
むかわ町と日高町の間から北東に伸びる国道237号線を、距離にして10kmほど、時間にして15分ほど進み、国道から少し入ったところに義經神社はあります。
着いたのはお昼を過ぎていましたが、境内の雰囲気がなんとも言えず心地良かったです。
参道の右側から、アニメの「一休さん」に出てきた“さよちゃん”のような女の子が今にも走って来そうな印象を受けました。
ここだけ空気の流れが違う気がしました。
ゆっくりと穏やかに時が流れていて、何十年も前にタイムスリップしたような不思議な感覚を味わいました。
龍の手水舎
義經神社の御朱印 ※左はインクが隣にうつらないように挟んでくれた紙。スタンプが押してありました。
源義經公の最後の地については諸説あるようですが、この地では福島町(函館の南西に位置する町)から北海道に入り、西海岸を北上して羊蹄山麓を廻って千歳から勇払に抜け、当時アイヌ民族が暮らしていた日高平取町(アイヌ語でピラトリ)で数年腰をおろしたという伝承があり、近隣には伝説の場所もたくさん存在します。
アイヌ民族を愛し、アイヌ民族からは、「アイヌの神“オキクルミカムイ”の再来」と崇め奉られ、“ハンガンカムイ”と称されたと言い伝えられています。
真実かどうかは今となっては確認のしようがありませんが、文字を持たないアイヌ民族が今日まで口承のみで語り継いできた伝説です。
私は真実だと信じています。
義經神社(所在地)
北海道沙流(さる)郡平取(びらとり)町本町119ー1
御祭神
源九郎判官義經公(げんくろうほうがんよしつねこう(源義經))
創祀
寛政十年(1798年)、幕吏(ばくり…幕府の役人)近藤重蔵守重(通称が重蔵で諱(いみな※1)が守重)が、御神像を寄進して創立されました。
源九郎判官義經公は衣川(きぬがわ)で自決したとの説が有力ですが、北海道の各地に残る数々の伝説を辿り、平取のアイヌ民族がとりわけ源九郎判官義經公を真摯に信仰している様子を見て、その人々のため、また北辺の守護神として尊像を寄進し、小祠をハヨピラ(平取町にある地名)の地に建立祀らしめたのがはじまりと言われています。
ハピヨラの聖地、沙流川の断崖に安置された御尊像は、厳しい北方の暴風に吹き飛ばされ、災害にも幾度も遭遇し、サトフル(富川町)の浜やモンベツ(日高門別町)の浜辺に打ち寄せられたと言われていますが、その度に必ず元のハピヨラに還るので、住民から畏敬され、その信仰は今日にまで及んでいます。
(※1)①生前の徳業によって死後に贈られる称号。諡(おくりな)。 ②身分の高い人の生前の実名。存命中は呼ぶのをはばかられた。
※義經神社からいただいたしおりより引用
美味しいお蕎麦屋さん「香雪庵」
帰りにお蕎麦屋さんに寄ろうということになり、この辺りで有名な“いずみ食堂”さんに行ってみると、物凄く混んでいました。
時間もお昼を大分過ぎていたので諦めて帰路を行きながら別のごはん屋さんを探していたら、すぐそばに“香雪庵”さんというお蕎麦屋さんが見えてきたので、寄ることにしました。
私が頼んだのは「鴨せいろ」
夫は「※かにのかきあげそば(冷)」※人気メニューだそうですよ!
息子たちは「冷やしたぬき」
更科が切れてしまったので私以外は田舎そばでしたが、どちらもとっても美味しかったです(^^)
鴨せいろ 900円
かにかきあげそば(冷) 1,100円
冷やしたぬき 900円
お近くにお越しの際は寄ってみてはいかがでしょうか(^^)