町内会の子供役員を引き受けてしまいました…。
私の特技“やりたくないことを頼まれる かつ 引き受ける”が発動した模様です_| ̄|○
今年は年明け早々ナンバーズ4がボックス当選したり(“セット”で購入したので大した額ではないですが)、お年玉付き年賀状も2等に当選したりと小当たりが続いています。
“宝くじが当たる年は何にでも当たる”なんて話を耳にしたこともあるし、ナマモノに当たるとか、上から落ちてくるものに当たるとか、車に当たる(事故)とか、そういったことにも少し警戒はしていたのですが、そうか。“役員に当たる”もあったか…盲点だった。
とまぁそんな感じで、内心は断りたくて仕方なかったのですが、頼まれたら断れない性格と、今年蹴ってもどうせ来年以降に回るだけか…という半分諦めの思いから、潔く引き受けることに致しました。
それで毎回思うことなのですが、町内会(自治体)活動って面倒くさくないですか?
あ…ごめんなさい。
誤解して欲しくないので弁明しますが、まず私は町内会はあった方が良いと思っている老人タイプの中年です(笑)。
今日はまず町内会について真面目に考察した上で、最後に言いたいことを書かせてもらいます。
地域のゴミ捨て場について
各家庭のゴミを回収するのは「行政の仕事」です。
本来は一軒一軒ゴミを回収してくれることが理想でしょうが、とはいえゴミ収集車が毎日全家庭を回ってゴミを回収するのは時間と労力がかかりすぎて非効率です。
それに、たとえ早朝といえども、真夏に生ゴミをゴミ収集車が来るまで自宅前に放置することを考えてみてください。
カラスや野良猫に荒らされたら?
玄関先から腐敗臭…イヤですね。
冬は冬で、私の住む地域では雪が積もるので吹雪いていたら雪に埋まるし、晴れていてもカラスやなんかに荒らされて真っ白い雪が生ゴミで汚れているのをみるのは不快です。
そしてそうなってくると、それを回避しようと各家庭で「小型ゴミ集積所」みたいなものを設置するのは必然。ゴミバケツかもしれないし、ゴミネットかもしれません。
ゴミを回収しに来た人は回収するたびにいちいちそれらのフタやら扉やらネットやらを開け閉めしないとならず、一軒一軒止まってはゴミを回収しなければならないし、ゴミ収集車の燃費は今よりさらに悪くなり、人手もゴミ収集車も費用も現在の数では絶対に足りなくなるでしょう。
(そういえば“トイストーリー3”でウッディー以外のおもちゃたちがゴミ袋に入れられ、ママに間違えて捨てられるシーンがありましたが、捨てられた先は自宅前でしたね。そして隣の家でもすぐにゴミ収集車が停車してゴミを回収していました。アメリカでは一軒一軒回収しているのかな?)
そして結果的にその分の費用を住民税に上乗せされたり、ごみ袋代が値上がりしたりして、結局しわ寄せは住民の財布にくることになるのではないでしょうか。
だから「町内会ごとにまとめてくれたら助かるわ〜。助成金を出すから今後もひとつよろしくたのむよ」というのが市区町村で、『そうだね。お金くれるっていうんだし、自分たちが出したゴミを近所に集めるくらいは自分たちでやろう!』というのが町内会です。
ゴミ収集の手間を減らす協力を依頼する行政と、助成金をもらう町内会は持ちつ持たれつの関係ということですね。
そもそも「ゴミを処理してもらっている」という気持ちの表れなのかもしれませんね。
そして日本人の「助け合い」の精神から生まれたのが町内会なのではと考えています。
でも、近頃は「ゴミを回収するのは市区町村の仕事だろ!住民にとっては当然の権利だ!」という考えの人たちが増えているように思います。
「やってもらうのが当たり前」
こういう思考は良くありませんね。
正論に見立てた“屁理屈”を法律だの権利だのを盾に振りかざして「自分のこと以外は何もしたくない」というわがままを通し、自分の知らないところで周りの人にお世話になっていることには気付いてもいない。
文字通り「自己中心的」な考え方です。
「お客様は神様だ」という考え方に似ていますね。
あれはお客じゃなくてお店の人がいうことなのに、客が自分で言い出すからおかしなことになるんですよ。
自分で自分を神様だなんていう人間はまともじゃありません。(あ…私の父がそうでした(笑))
町内会への入会は強制ではありませんが、そうやってみんなが助け合っていることを一度でも考えたことがありますか?
「そんなの知ったことか!」と思っている方のことも、どこかで誰かが支えてくれているということに早く気がついて欲しいものです。
町内会費について
平均して月500円前後の町内会費には、ゴミステーションの管理費用や街灯の電気代などが含まれており、私たちが快適に暮らすために使用されているのはご承知の通り。
「自宅の周辺に街灯がないのに街灯代を払うのが納得いかない」なんてことを言う人がいました。
夜出かける時に空でも飛ぶんでしょうか?
夜道を歩くとき、車で道を走るとき、否が応でも街灯の下を通るでしょう。
ペンライトや懐中電灯を持たなくても夜道を安全に歩けるのは当たり前のことじゃないんですよ。
昨年9月、北海道で大きな地震がありました。
それに起因してブラックアウトが起きました。
あの時に、いかに街に街灯が溢れていたかを痛感しました。
自分の住んでいない場所の街灯も、そこの住民の方達が電気代を負担してくれているから今日も灯っているんです。
そのおかげで、私たちは自分が灯りを持って歩かなくても夜道を歩けるし、車で安全に走ることができているんです。
漆黒の闇に車のヘッドライトだけでは心許ないこともあの9月に初めて知りました。
“自分が払ったお金が誰かの役に立っている”
“自分も知らず知らずのうちに誰かの恩恵を受けている”
そういうことを考えたことがありますか?
そこまで考えが及んでいながら月ワンコイン程度の町内会費の支払いを渋っているのでしょうか?
それからうちの町内は豪雪地帯のため冬季は※排雪費用も町内会費とは別に徴収されるのですが、その件で『自宅の前は大きな道で市の排雪が入るから町内会での排雪は必要ない。だから排雪費用を払いたくない』と言っているおばさんもいました。
いやいやいやいや、待て待て待て待て。
だから。
通るでしょう、道!
また自分のことだけ。
なんでそうやって屁理屈ばっかり並べて支払いを渋るんでしょうね。
はっきりと「お金がないから払えません」って言えばいいのにね。
※排雪費用…市では雪が(10cm以上)降れば早朝に道路を除雪してくれるのですが、それはあくまでも「道路を開けて交通を麻痺させないこと」が目的です。網の目のように張り巡らされた道路を、夜中の2時過ぎからあちこちの業者が朝までに綺麗に除雪して車が走りやすくしてくれているのですが、スピード勝負なのでよけた雪は歩道側に寄せて置いていくのがやっとです。それによって真冬は二車線の道路でも1.5車線になることもあります。(なので、市に『家の前に雪を置いていくな!」と苦情の電話を入れるような人は、“除雪の趣旨をわかっていない大変に残念な人”としかいえません。自力でどかせないような塊を置いていったのならともかく。)そうしてどんどん積み上がっていった道路脇の雪を、年に数回トラックに乗せて雪堆積場に運んでもらう作業のことを『排雪』と呼びます。これを、町内会が独自で業者に頼んでやってもらいます。(トラック代やらなんやらで、各自の負担は町内会費よりも排雪費の方が若干高いくらいです。)
あと、子供会費ね。
「うち子どもいないから払いません」ってなんなんだ。
あんたたちがジーさんバーさんになって引退した後、社会を回すのは今の子供達でしょうが。
「生まれてこの方自分一人の力で生きてきました」みたいな顔して。気分悪い。
老人ホームの世話になんないからいいとかそんな屁理屈通りませんよ。
食料品を売ってくれるのも、バスや電車やタクシーを運転してくれるのも、娯楽を提供してくれるのも、いずれ今の子供達がやってくれるようになるんですよ。
みんなで子どもを育てようという気のない人は、一人で月にでも住んでウサギと一緒に餅でもついて暮らしたらどうですか。
防災について
それから防災についてですが、これは間違いなく町内会が一役買います。正しくは「隣近所」かな。
“遠くの親戚より近くの他人”といいますがまさにそのとおりで、災害発生直後に命を救うのは近隣住民しかいません。
“72時間の壁”や“黄金の72時間”という言葉をご存知ですか?
内閣府が発信している防災情報の地区防災計画の啓蒙パンフレットに「生死を分けるタイムリミット」として記されている時間です。(パンフレット「みんなでつくる地区防災計画」のPDFはこちら)
この「72時間」の根拠は、“阪神・淡路大震災”や“東日本大震災”での救出者の生存率などのデータや、救急医学の統計、水を飲まずに人間が生き延びられる日数の平均など、さまざまな角度から導き出されたものなのですが、特に参考にされているのは1995年1月に起きた阪神・淡路大震災での生存者の推移のデータです。
瓦礫の下敷きになった人の生死を分ける時間の境目が72時間頃だった、そしてまた、自衛隊が救助した人数についても72時間を過ぎると急激に減った、というデータが残っています。
見つけるのも救出するのも最初の72時間が勝負だと言うことは間違いありません。
もちろん季節や状況に応じてその時間は大きく前後するものの、災害救助時のひとつの目安として広まっていきました。英語にも“Golden 72 Hours Rule”という言葉があるそうです。
そして、なによりも重要なことは、阪神・淡路大震災で瓦礫の下から救出された約35000人のうち、※77%に当たる約27000人が近隣住民等から助け出されたという事実です。
※内閣府防災情報のページ「平成26年版防災白書 図表1 阪神・淡路大震災における救助主体と救助者数」より
あのような大規模な震災の場合、消防も救急も自衛隊もすぐには駆けつけられません。
救助を待っている人は山のように溢れ返り、道は陥没したり隆起したりして車も思うように進めない。
だから、消防士でもない、自衛隊でもない、よく顔を合わせる同じ地域の人たち同士が協力して救出に当たったのです。
そしてその結果がものの見事に結果として残った。
遅れてきた消防士さんや自衛隊さんが助けてくれた命もたくさんありましたが、せっかく一度は助かった命でも、時間が経過していればいるほど、その後の生存率が下がってしまうのです。
大した知らないお隣さんより、よく顔を合わせる三軒隣さんの方が助けてあげたくなるのが人情です。
家族が全部で何人いるかも分からなかったら、一人だけ気付かずに助けてもらえなかった…なんていう悲しいことも起きやすい。
町内会では安否確認のための名簿を作成していますので、救援物資を配布する際などに名簿に乗っていない人は忘れられる、なんていうことも発生しかねません。
今日のように何事もなく明日も過ぎていくなんていう保証はどこにもないんです。
いざという時に助け合える、それこそが近隣住民と付き合うことの最大のメリットかも知れませんね。
私の本音
地域の人たちとの交流なんてわずらわしい!
広報誌を配布したり町内会費を回収したりするのは面倒くさい。三役なんてもってのほか!
忙しくて町内会活動なんてやってられない!
散々町内会のメリットを書き出しておいて、書いた本人の本音がコレだもの…(笑)
いやね、みんなのことはわかりませんよ?
わかりませんけど…
大体こんな感じじゃないです?…違う?
「向こう三軒両隣と仲良くしとけば大体いいでしょ」というのが本心です。
露骨な人だと「町内会活動とかPTA活動なんていうものは暇な人がやればいい」って実際に口に出しちゃうもんね!
「忙しいのは自分だけみたいな言い分ですね」なんて言ったらボコボコにされますね。怖。
で、何が言いたいかというと、真面目に町内会活動をしようという人が一定数いる一方で、「面倒くさいからやりたくない」という“物言わぬ多数派”(“サイレントマジョリティー”ってやつです)がいるということなんですよ。
役員になりたくない人が逃げて逃げて逃げまくっているから、やる人が大体決まってきちゃう。多い人だと三回も四回もやっている。
で、そういう人は張り切っちゃう場合が多いから、ただでさえ面倒くさい町内会活動に更に面倒な活動をどんどん加えてしまうんですよ。良かれと思ってね。
「運動会」とかいい例です。
景品まで用意することにしちゃうし。
都会ではそんなことしないでしょうが、私の住んでいるような僻地では未だにやっているところがあります。
しかもそれを役員が一手に引き受けてやっている。
休みの日にわざわざ景品の買い出し。当日には準備に後片付け。終わったあとはさっさと帰りたいのにジーさん連中と打ち上げ。
ただでさえ公園の草刈りやら花壇整備やらで週末を潰されているというのに「もうこれ以上余計な仕事を増やすな!」ですよ。
春先に役員選出に頭を悩ませるのは、そういう面倒なことがたくさんあるのが大きな要因でしょう。
それに、自分はやらないのに「若いのにやらせろ」と言って余計な仕事を増やすジイさんバアさんが多すぎる。
口だけ出して手出さない人は嫌いです昔から。
「手ェ出さないなら口出すな」ですよ。
ほんとに、働き盛り・子育て真っ盛りの年代とジジババとの温度差が開き過ぎて風邪ひきそうです。
そこで、私は今回役員を引き受けるにあたり、出来る限り仕事を減らすよう意見したいと思っています!
サイレントマジョリティーの代表として!
先に述べた町内会のメリットはもちろん取り上げつつですが、「みんなそんなに町内会活動を熱心にやる気ないですよ」「必要最低限のことだけ残してあとはどんどん削りましょう」というのをちょいちょい挟んでいこうと思います。
町内会活動の負担を軽減するにはやる気のない役員を配置するしかないでしょう!
というわけで、町内会活動が活発で負担に思っている方、一緒に役員になって仕事をどんどん減らしてみませんか?(笑)
町内会費の徴収とか回覧板を回すくらいは順番でやって、草刈りやゴミステーション(北海道弁でゴミ集積所のこと)の清掃は引き続きみんなでやる。
…あれ。
結局仕事ほとんど減ってない(笑)
仕事を最低限に減らそうが、町内会活動は結局どうやってもめんどくさいってことか…
諦めてやるしかないか〜