「北海道の偉人って誰ですか…」北海道の偉人ベスト10

先日テレビで北海道民に“北海道の偉人といえば?”とインタビューする映像を見ました。

『え…誰だろう…。クラーク博士?…って何した人だっけ?』

という思いで見ていたら、テレビの向こうでも同じような返答ばかりが返ってきていました。

自慢じゃありませんが学生時代は歴史に全然興味がなく、勉強をした覚えが全くありません。(本当に自慢じゃねえなオイ)

“歴史を勉強してなんか意味あんの?”

“とっくの昔に死んだ人のこと覚えて何になるのよ”

という屁理屈ばっかり並べていました。

今は“どうせ国家に都合の悪いことは一切教えてないんだろ”に変わりましたが。どっちにしろ屁理屈には変わりないですけど。

しかも勉強していないのは歴史だけみたいな書き方をしましたが、全ての教科においてですのでお間違えのないように!(意気込んで言うな)

歴史上の偉人の写真や肖像画などは、さしづめアートの対象でした。

西郷どんみたいに顔が濃い人とか杉田玄白みたいにすでに出来上がっている人よりも(どういう意味だ笑)、織田信長とか源頼朝みたいに薄〜い顔の方が化けるので楽しかったですね。

アートといえば、私の音楽の教科書の中では、ベートーベンもモーツァルトもシューベルトも滝廉太郎も全員バッハの髪型でした。山田耕筰なんてツルッツルだから朝飯前でしたわ。

…で、なんの話でしたっけ?(笑)

何にも勉強しなかったって言っといて何の説得力もないんですが、そもそも北海道の偉人のことなんて学校で教わりましたっけ?

習ったとしてもクラーク博士くらいなもんですよね?

…そんな感じで、このままでは知識がなさすぎて全くお話になりませんので、昨年8月に道新(北海道新聞)が行った世論調査“北海道命名から150年間で最も功績があった人は”の結果を元に調べていきたいと思います。

10位以内には、元北海道知事で政治家の横路孝弘氏や堂垣内尚弘氏、高橋はるみ現北海道知事、元衆議院議員の鈴木宗男氏のほか、今や全国区の俳優となった大泉洋氏などが名を連ねていますが、今回は上記5名以外の偉人について調べていきます。

しかし大泉洋の名前だけ妙に浮いて見えますね。(今や恐らく知名度はナンバーワンですがね)

“北海道150年で最も功績があった人”第1位はこの方!

松浦 武四郎(まつうら たけしろう)

『…え、誰?』という声が聞こえた気がしました。

(私の心の声かな)

北海道誕生150年を記念して、この春から嵐の松潤が主役のドラマがスタートするので、松潤ファンの方はご存知かもしれませんね(^^)

この方は、かつて“蝦夷地(えぞち)”と呼ばれていた北海道を“北海道と命名した名付け親”だと言われています。

が、正確には“北海道”という名前をそのまま松浦氏が名付けたわけではなく、松浦氏が名前の候補を何点か挙げ、それを参考にして政府の役人が『北海道』という名前を導き出したということのようです。

松浦氏は、独自で何度も蝦夷地の人跡未踏の地域に足を踏み入れ、アイヌ民族とも交流を深めたりと“蝦夷通”であったことで知られ、名付けに当たって松浦氏に白羽の矢が当たりました。

彼の残した膨大な資料なくして現在の北海道はありえないと言っても過言ではないでしょう。

彼がいなかったら、今頃北海道はどのようになっていたのでしょう。

もしかしたら、北海道の調査が遅れ、今頃ロシアの領土になっていたかもしれませんね。

そう考えると、なるほど。

『まさに松浦氏こそ北海道の偉人!』と言えますね!

(出典 :北海道150年記念公式サイト

お次は第2位!

ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)

“Boys, be ambitious(青年よ大志を抱け)” でおなじみのクラーク博士です。

この言葉は、現在の北広島市の島松で、馬の上から教え子たちへの別れの言葉として叫んだと伝えられています。

クラーク博士は札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭で、動物・植物学を教えた第一人者として知られ、北海道開拓の父と呼ばれています。

観光地として有名な札幌市時計台は、正式には“旧札幌農学校演武場”といい、クラーク博士が農学校の生徒の兵式訓練や入学式などの行事を行う中央講堂として建設させたといわれています。

それにしても、こんなにも有名なクラーク博士が“8ヶ月”しか北海道にいなかったというから驚きです。

(出典:さっぽろ羊ヶ丘展望台公式WEBサイト札幌市 時計台 公式サイト

町村 金五(まちむら きんご)

第3位は“町村金五”氏です。

“町村”と聞いて『ソフトクリームの美味しい“町村農場”の創業者?』と思ったら、町村農場の創業者は町村敬貴(まちむらひろたか)氏で、町村金五氏のお兄さんに当たります。

ちなみに金五氏は五男だそう。金五の“五”は五男の“五”かな?

町村金五氏は札幌生まれで10歳の時に東京へ移住し、帝国大学を卒業後内務省に入省。

その後、富山県知事、警保局長、新潟県知事、警視総監を歴任して終戦を迎え、東京都次長に就任後、公職追放となります。

その後は衆議院議員を経て北海道知事を3期(12年)務めました。

そして、参議院議員、第二次田中内閣で自治大臣、北海道開発庁長官を務められたということです。

素晴らしい経歴の数々ですね!

どの仕事のことも全然知わかりませんが、金五氏が凄いことだけはわかります。

ちなみにお父さん“町村金弥(まちむらきんや)”氏も政治家で、2015年に亡くなられた政治家の“町村信孝(まちむらのぶたか)”氏は、金吾氏の息子さんに当たるそうです。

(出典:町村農場オンラインショップ北海道立文書館公式HP

そして第4位は前出の横路孝弘氏。

第5位はこの方です。

島 義勇(しまよしたけ)

前出のクラーク博士とともに開拓の父と呼ばれている方がもう一人いるのですが、それが島義勇氏です。

北海道神宮の手水舎(ちょうずや)の右後方にこの方の大きな銅像があるので、目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

さっぽろ市役所のロビーにも島氏の銅像が置かれていて、島氏は現在においても札幌の方達に大切に扱われているそうです。

島義勇氏は開拓判官(かいたくはんがん/ほうがん)でした。

“開拓判官”とは、北海道を開拓するために任命された、言わば現場の指揮をとる監督的存在です。

北海道神宮のしおりによると、

明治天皇が開拓の守護神として“大国魂神(おおくにたまのかみ)”、“大那牟遅神(おおなむちのかみ)”、“少彦名神(すくなひこなのかみ)”の三神を開拓使にお託しになり、(中略)島義勇氏が三神の御霊代を自ら背負って除難の陸路を踏破し三神を鎮斎する社地を円山に定めました。

(出典:“北海道総鎮守 北海道神宮”のしおりより一部抜粋)

とあります。

簡単に説明すると、北海道神宮に祀られている神様たちを函館から札幌まで歩いて運んで来てくださったのが島義勇氏です。

さらに、札幌の骨格の基盤を形作ったのも島氏で、お金に糸目をつけずに開発を進めた結果、のちの“東久世長官”から突如東京に戻るようにとの召喚状が届き、島氏は志半ばで北海道を後にすることになってしまいます。

そのため、島氏の札幌滞在期間はわずか3ヶ月ほどしかありませんでしたが、その三か月間の島氏の尽力と熱意と人柄は大変に讃えられ、今日の壮大な札幌の大都市、そして北海道が、島氏あってこそのものであることが現在まで伝えられています。

そして、島氏を東京に呼び戻した東久世長官は、のちに札幌の地で開拓の様子を目の当たりにして、その様子を賞賛したということです。

島氏は札幌を京の街並みをモデルにして作ろうとしていたのではないかと考えられています。

札幌の町並みは風水の概念を視野に入れて作られたという話を耳にしたことがあります。

島氏の構想『石狩国本府指図』は現在の札幌の構図とは少し異なっているそうですが、島氏が札幌を作るために良いと思う方法を模索して組み立ててくれたお陰で、現在の大都市札幌があるのでしょう。

島義勇氏は、北海道神宮円山公園口鳥居から入ってすぐの“開拓神社”において、北海道開拓の功績者たちとともに、大切に祀られています。

(出典:札幌市 円山公園 公式サイト札幌市 「円山公園ーさっぽろ 桜の名所ー」・書籍“島義勇伝” 著者 エアーダイブ)

次いで同率第6位に前出の“堂垣内尚弘”氏、“鈴木宗男”氏、“高橋はるみ”氏の3名がランクイン。

そして第9位が大泉洋氏。

…一人だけ毛色が違ってやっぱり違和感がありますが、今や本当に北海道の顔ですからね。大好きです!

そして最後、第10位はこの方でした。

黒田 清隆(くろだ きよたか)

…全く存じません_| ̄|○恥

“黒田清高”氏は、薩摩藩士“黒田清行”の長男として鹿児島で産まれました。

“黒田”といえば名家も少なくないそうなのですが、残念ながら清隆氏のお父さんは薄給武士だったそうで、清高氏は富も名もないところから実力で這い上がった武士でした。

開拓次官(開拓判官より上の位。そのさらに上が長官。)になったその翌年、出張命令によりアメリカへ研修に行くことになった黒田氏は、若干29歳の青年だったにも関わらず、当時アメリカの農務局長だった67歳の“ホーレス・ケプロン”氏を農務局長の椅子から立ち上がらせ(農務局長を辞任)、“開拓使の外人頭取兼顧問”として彼を北海道に招き得て帰国しました。

ホーレス・ケプロン氏もクラーク博士同様、北海道の開拓に大きく貢献してくれた外国人の一人です。

ケプロン氏は、現地視察の結果を踏まえて次のような助言をしています。

1.北海道の土地は気候と土壌も良好で資源も豊富。

2.札幌は首都として適当。石狩と室蘭へ道路を開くべき。

3.札幌に機械工場を設ける必要がある。

4.試験場を東京に設け、札幌にも農学校の農園・試験場を開く。

5.果樹栽培が有望。りんご、ぶどう他を植え付けるようにする。

6.外国の農民を移して、実際のやり方を日本人に見習わせる。

7.土地処分についての法律の制定を急がなければならない。

8.予算の使途は慎重を期する。鉱山や工業は民間人に経営させる方針が良い。

開拓行政は、これらのケプロンの助言を忠実に展開していき、蒸気製材所を始め、鋳物工場、鍛治工場、塗装工場、洋式の製粉工場などが次々と落成しました。

サッポロビール工場(当時の名前は“開拓使麦酒醸造所”)もこの頃に開業しています。

そして、札幌農学校にクラーク博士を招いたのもこの黒田氏でした。

アメリカと上手に渡り歩き、次々と北海道を切り開いていった黒田氏の辣腕ぶりには言葉が出ません。

のちに第二代内閣総理大臣になったそうです。

(出典:書籍『黒田清隆』 井黒弥太郎著・『北海道のいしずえ四人』井黒弥太郎、片山敬次著)

まとめ

今の私たちの暮らしの陰には、私たちのことを考えて懸命に開拓してくれた沢山の先人の知恵と血と汗があったことが少しわかり、胸の奥から込み上げてくるものを感じています。

『歴史なんて勉強しても意味ない』とか言っていた自分は、ろくでなしの大馬鹿野郎でした。

今回ご紹介した5名は氷山の一角にも満たなくて、他にもご紹介したい方がたくさんいて、調べても出てこない沢山の人たちが荒野を切り開いたり川を作ったりしてくれたんだなということにもようやく目が向くようになりました。

そんなことも知らずに『庭の草刈りめんどくさい』とかぼやいていた自分が恥ずかしすぎて、土に埋まってそのまま桜の木の栄養にでもなってしまいたい気分です。

でも、そんな現代人たちのことすらも、先人たちは『きみたちはそんなことを知らなくていいんだよ』と目を細めて見てくれているような気がしています。

今日も私たちは、たくさんの先人たちが築いてくれた土台の上で、当たり前のように車に乗り、当たり前のように買い物をし、当たり前のように暮らしています。

北海道をこんなに住み良い場所にしてくれて有難うございました。

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