難しい…気を遣いすぎる友達

つい先日、友人と子連れで海に遊びに行ったのですが、その時に私が友人に対して感じた過剰とも言えるほどの気遣いについてのお話です。

いつもは私と子どもたちと友人と友人の子で行くのですが、今回は私の夫も一緒に行きました。

いつもなら有り難く感じる友人の気遣いが、今回私の夫が同行したことによって過剰な形で露呈したようで、私は今回心理的に非常にしんどく感じてしまったのです。

未だにモヤモヤしているので、ここに書いてスッキリしたいと思います。

荷物がたくさんあるので2台で海へと向かったのですが、友人の家に集合した後は、うちの車に夫と息子達と友人の子が、友人の車には友人と私が乗りました。

ああでもないこうでもないと仕事の愚痴やら子育てのことやらを話し、途中道の駅でトイレ休憩を挟んだりしながら走っていると、楽しくてあっという間に海に着きました。

スクリーンタープとテントを張り終えたら、子ども達はすでに海に入りたくてウズウズしており、各々入水の準備を始めました。

北海道の海水は真夏と言えども温度が低いため、長く入っていると唇が紫色になってガクガクと震えてしまいます。

夫は早速炭火を起こす準備に取り掛かりました。

ここで友人が夫に、『すぐに火のつく簡易コンロを買ってきたから使って!』と差し出してくれました。

夫は「もったいないからいいよ!何かの時に使いな!」と言って遠慮したのですが、友人は夫の“もったいない”という言葉に反応して『いいから使って!』と夫に促し、夫は受け取りました。

私は夫の気持ちも友人の気持ちもわかっているつもりで見ていたのですが、夫はいつも自分のやっている手順を通したい人なので、友人の持ってきてくれたコンロは使わずに自分が持参した道具で炭を起こしたいというのが本音でした。

ですが、自分の気持ちを言葉で伝えるのが得意でない夫(過去記事参照)は、自分の気持ちは表に出さず、「もったいない」という言葉で相手を慮るような断り方をしてしまったため、知人は『いいのいいの!使って!』と夫の「もったいない」を振り払うようにして、親切の押し売りをする形になってしまいました。

また、この日の数日前に、この日のために買い物に出ていた知人から、『何か買っておいた方がいいものある?炭とか』と連絡があったのですが、私は「炭も網もあるから大丈夫だよ!」と返事をしていたので、それについても若干の違和感がありました。

私としては、遠慮とかではなく本当に不要だから「要らないよ」と言っており、それがいつもの私達のスタンスだと思っていたのですが、友人が良かれと思って気を使って買って来てくれたことは充分わかったので、「ありがとう」と受け取りました。

でも、自分の口から出たはずの「ありがとう」が心とは裏腹だったため、せっかくの友人の好意にも関わらず、しんどく感じてしまいました。

そしてそれは、先述の夫においても同様でした。

自宅に帰ってから夫が友人に対し、「意外と頑固?だね」と言っていました。(そのことについては、「“自分のやり方で火を起こしたい”と思っていることが友人に伝わっていれば、友人もそんなに強引にはならなかったと思うよ」と伝えましたが。)

それから、我が家の海水浴では海に着いて早々は、火起こしの手前夫が火の番の係、私が浜辺で子ども達の監視役と役割分担をしているのですが、今回は友人の子供が寒くて海から上がって火の所に戻り、それに伴って友人もテントの方へ、私は相変わらず自分の子供達を海で見ていました。

その間に、飲み物やら食べ物やらを友人が夫に提供してくれており、こっちでも持って来ていたのに申し訳ないなと思いながらも有り難く受け取っていました。

そこまでは良かったのですが、みんなで焼き肉を食べた後でまた夫を火の元へ残し、友人と子供達と磯遊びをしていて、私が餌になるものを取りにテントへ戻ろうとしていると、友人が『〇〇さん(私の夫)が可哀想だから戻ろうかな』と言いました。

ここで私はものすごく違和感を覚えました。

『いや大丈夫』と言って子供達を託して私だけ夫の方へ戻ったのですが、ものすごくモヤモヤしたのです。

ヤキモチとも違う不思議な感情が沸き起こりました。

私はとにかく自分のテリトリーの中にズカズカ入られるのが嫌いなのです。

私が友人に感じた違和感は、私と夫の境界線の中に入られそうになったからだと思いました。

友人が“私が夫のことをほったらかしにしている。夫さんが可哀想だ”と感じていたのだと察し、非常に不愉快になりました。

夫は、私と友人が遊びに来ていることを尊重してくれていたし、友人の子が体が小さくてすぐにチアノーゼを起こすのもあって、すぐに暖が取れるようにと炭火を保って焼き鳥を焼いたりしてくれていたのです。

私が夫に付いていて子供達を友人に預ける方がよっぽどおかしいし、私達としては友人の子供と自分達の子供のために当然のことをしているつもりでいたので、友人のこの一言は理解に苦しみました。

それに、夫はもう40代半ばのいい大人です。

“一人で可哀想”という考えにも驚きましたし、百歩譲って一人で可哀想だったにしても、だからってなぜ友人の夫の元に自分が戻るということになるのか、全く理解できませんでした。

私が友人の立場だったら、火の番を自分が買って出るか、私を夫のところに戻すと思います。

(家に帰ってから夫に聞いてみましたが、「淋しくはないわ。遊びたいなとは思ったけど。でも友達と遊びに来てるんだから遊んでおいでとしか思ってなかった。」と言っていました。)

なので、親切心であることは分かりましたが、私には友人の気の使い方がありがた迷惑に感じてしまいました。

夫の心配をすることは友人の仕事ではないよと思いました。

ここで改めて言っておきますが、友人が夫に気があるとかそういうことが言いたいのではありません。それは私にもよくわかります。

友人は、気を遣い過ぎるがゆえに自己犠牲の強い性格であり、時としてこうやって境界線を越えてまで世話を焼いたり人助けをすることを良しとするところがあるようなのです。

私と二人の時にはそんなに出ませんが、たまにこうして私が夫を連れて来たりすると、こういうことが起きるのです。

私の夫が物腰が柔らかくはっきり断れないタイプであることも、友人が何かと世話を焼きやすいと感じる一因なのかも知れません。

また、夫も夫で馴れ馴れしいようでいて人見知りのような変な性分なので、夫も友人も、双方が私と二人でいる時とは様子が違うことを肌で感じていました。

夫と友人がお互いを異性として意識しているとかいうようなことではなく、無意識下でお互いに気を遣っているという印象を受けるのです。

なので、間でそれを見ている私はドッと疲れるのです。

そしてもちろん、夫も友人も家に帰ってドッと疲れたはずです。

私から見た二人はいつもの二人ではなかったのですから。

本当は要らないのに「要らない」と言えずに「ありがとう」と言ってしまう関係性は、私にとってはストレス以外の何物でもありません。

そういう人とは自ら距離を取るくらいです。

私は夫とは常々本音で話そうと話し合っています。

本音を出すことをあまり良しとされてこなかったため、夫にはなかなかできないことなのですが。

そして、今回の友人の育った環境も、なんとなく夫の家庭と似ているような気がしています。

自分が我慢して相手に合わせればうまくいくと学習して来たのだと感じています。

私はそんな二人と本音で接したいといつも考えているし、二人にとっての自分は、素の自分が出せる場所でありたいと願っているのです。

でも、夫と友人と私の三人が揃うと、どうしても三人ともが気を遣ってしまうため、そして何より私がしんどくてたまらないので、来年以降は夫は抜きにして出掛けたいと思います…。

心地よい人間関係を保つためには、双方が双方の境界線(バウンダリー)を侵略しない心構えを持つことが重要なんだなと学んだ一日でした。

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