次男入院 No.2

前回次男入院 No.1の続きです。

結果報告

次男に一通り話し終えたあと、「お父さんに電話してくるからテレビでも見てて」と次男に言って病室を出て、誰もいない談話室で夫に電話をかけました。

「もしもし。今日の結果で…白血病の疑いがあるから転院してくださいって…言われた…」

『…白血病!?マジかよ…』

伝え終わったか終わらないかのうちにまた泣いてしまい、私の口から出た言葉に夫もうろたえていました。

呼吸を整え、明日の午前中のうちには転院先の病院に入るよう言われたこと、結果によっては入院が数ヶ月単位〜年単位になるかもしれないことも伝えました。

夫の仕事は夜勤もあるため、中学生になったとはいえ長男を夜に家に一人でおいておくわけにはいかないので、会社にしばらく日勤になるように融通してもらいました。

ただでさえコロナで欠員が出ている中だったので申し訳なかったですが、大変ありがたかったです。

その後、私の母にも電話をかけました。

『ええ!?…うそ!!』

母は最初信じられなくてすぐには受け入れられないといった様子でした。

この時もやっぱり泣かずには話せなくて、母も泣かせてしまいました。

お互い泣きながら、「大丈夫だよね!」『大丈夫だよ!』と言い合って電話を切りました。

以前電話越しに喧嘩した経過があったので、今回は私のいうことをそのまま聞いてくれました。(11歳の息子が感染!EBウイルスによる伝染性単核球症闘病記参照)

次男の担任の先生にも電話で報告しました。

先生は私にかける言葉が見つからないと言っていました。

ここでやっと私自身が少し冷静さを取り戻し、「まだそうと決まった訳ではないし、まずは大きな病院でしっかり診てもらってきます。」と言って切りました。

“フーッ”と一息ついて、談話室の茶色い長椅子に座り込みました。

一泊の検査入院のはずだったのに、フタを開けたら年単位かもって…。

泣きもせずわめきもせず、ただ静かに私の言うことを聞いていた次男が脳裏に焼き付いて、かわいそうでかわいそうで…誰と話していても涙が止まりませんでした。

病気は自然災害とおんなじで、人間の都合も気持ちもお構いなしでなんの脈絡もなく突然襲ってきます。

心の準備もなんもあったもんじゃない。

まだ診断を受けた訳でもないのに、気分はすっかり白血病の息子の母親になっていました。

…次男が待ってる。戻ろう。

改めて呼吸を整え、両手で頬を叩いて病室に戻りました。

クヨクヨしたってしょうがない。

次男の身に病魔が降りかかっているのなら、母である自分のすることは一つ。

次男を支えることのみ。

白血病の疑いがあるとの結果報告を受けてから次男本人への告知と三人への電話報告を済ませた30分の間に、私の脳内は完全に現実に向かって切り替わりました。

次男の不安は全部私が引き受けよう。

次男に万が一のことが起こるかもしれないが、そこから目を背けるくらいなら今すぐ次男の母親なんかやめてしまえ!!

そんな心境で次男の元へ戻りました。

転院前夜

病室に戻ると、次男がNHKのみんなのうたを見ていました。

『お母さん!この歌次男のための歌みたいだよ!』

と興奮気味に教えてくれた歌は、谷山浩子さんの“きみがいるから”という曲でした。

歌っているのも作詞作曲も谷山浩子さんです。

歌詞の一部をご紹介致します。

血管 ありがと いつもそばにいてくれて いろんなものを運んでくれて

内蔵 ありがと いつもそばにいてくれて ずっと眠らず働いてくれて

きみがいるから わたし 今日も生きてる

無口な優しさに守られて

骨 ありがと いつもそばにいてくれて わたしのすべて支えてくれて

他のみんなもありがと まとめてでごめん ほんとありがと 言葉じゃ足りない

生まれたときからずっと 一緒にいたね

一緒に遊んで 一緒に泣いて

きみがいるから(うた:谷山浩子/作詞・作曲:谷山浩子)より一部抜粋

「本当だ!次男のための歌だね!次男の体もきっと喜んでるね(^^)」

自分の体に感謝できる気持ちが次男の中に育っていたことが嬉しかったです。

“ありがとうの言葉には心も体も癒す力がある”

そう信じています。

次男の体は今も頑張ってウイルスをやっつけてくれている。

寝ずに頑張ってくれている。

それも、もう半年近く、合計したら50日くらい発熱してウイルスとの戦いを続けてくれている。

次男の体、本当に本当にありがとう!!

その後に続けて流れてきたBiSHさんの“ごめんね”という曲も、喧嘩ばかりの長男と次男の今の状況に当てはまっていて切なくなりました。

この日の夜の次男は、発熱が続いてしんどいのに遅くまで眠れずにいました。

「どうした?」

『違う病院に行くの怖い』

「そうだよね」

『いつ帰れるのかわかんないし』

「うん」

『やだなぁ』

「うん。次男がイヤならこのまま帰ることもできるんだよ。でも次男の病気が悪化して次男が死んじゃったらその方が怖いしイヤだから、大きな病院で細かく調べてもらった方がいいよって先生たちが準備してくれてるんだよ。どうする?」

『…行く。』

次男のベットに簡易ベットをピッタリ寄せて、布団の中で二人でそんな会話をしていました。

大人だって入院自体怖いしイヤなものです。

「イヤだよね」「怖いよね」は、入院中に何度次男に言ったかわかりません。

怖くて当たり前だわ。

怖いよね。

帰りたいよね。

そんな、現状を打破するのには何の役にも立たないおうむ返しのあいづちでしたが、入院している次男の不安を少しでも解消するためには、絶対に次男の吐き出す感情を曲げたり跳ね返したりしないようにと、自分なりに細心の注意を払った上でのあいづちでした。

“帰りたい”の言葉の裏にある(帰れないのはわかっているけど…)

“怖い”の言葉の裏にある(逃げられないけど…)

この( )の中の気持ちを汲み取り、その気持ちに寄り添った返事をしてあげることが“心に寄り添う”ということだと思います。

わたしの実母の場合だと、“帰りたい”とつぶやいたら、きっとその言葉だけに反応して『そんなこと言わないで我慢して見てもらわないと!』と言うと思います。

そんなことは本人が一番わかっている。

でもふと、わたしが実母とこういうやりとりをして育って来たのは、今回次男に同じことをしてしまわないための予行演習として、わたしの反面教師として実母が私の実母として配置されたのかもしれないと、そんなことを思ったりもしました。

本を読むにしろ、何か経験するにしろ、何か一つでも自分の身につけたいという欲が昔からあります。自己中心的な性格でもあります。

それゆえの手前勝手な解釈だという自覚もありますが、全ての出来事には意味があるのだと、窮地に立たされて思い知らされることが幾度もあります。

次男と共に家族で乗り越えてみせます。

つづく▷

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