お節介の”たられば”

カウンセラーさんはクライエントさん(依頼人)と話す時、クライエントさんの話す言葉に対して『こうしたら?』などと提案することはしません。

クライエントさんが話すことを決して遮らず、時折りクライエントさんの言った言葉を復唱しながら相槌をうち、話したいことを全て話させてあげるのだそうです。

一方私が友達や夫や子どもの話を聞くときは、『こうしたら?』『ああしてみれば?』と提案しがちです。

力になりたくて、良かれと思ってのことなのですが、自分が相談する時のことを考えると、相手に答えを出して欲しいなんて、これっぽっちも考えていないんですよね。

夫も同じタイプなので、以前夫に解決案を提案された時に、『別にどうすればいいか聞いてるわけじゃない!ただ聞いて欲しかっただけだから!』と言ったことがあります。

自分だってそう思っているくせに、どうして自分が聞く立場になると相手の気持ちに立って話を聞いてあげられないんだろう…。夫だって同じ気持ちなのにね。

こと家族のことになると、やっぱりなんとかしてあげたいし、力になりたいと力んでしまう。

でもこの『良かれと思って』というのが、相手を苦しめてしまうのです。

相手はそんな意見をはなから求めていません。

私が勝手にベラベラ喋るから、気付けば話を聞いて欲しがっていたはずの相手を聞き役に回してしまっている。

でも相手も私が自分のためにアドバイスしてくれてることがわかるから、とりあえず聞いているような素振りをする。

でも…。

(今後この人に話すのはもうよそう)

そんな風に思わせてしまった人がたくさんいるんじゃないかと思います。

子ども達や夫も、(うるさいなぁ…黙って聞いてくれるだけでいいのに…)と思っていると思います。

自分の意見が通らなかったり、どうしても納得がいかなくて割り切れないとき、人はそれをだれかに話してわかってもらいたいと思うものです。

『仕方がない』と頭ではわかっているけれど、心の中ではモヤモヤしているから誰かに自分の気持ちをわかって欲しい。

それは人間にとって、ごくごく当たり前の欲求です。

そして一人でも自分の話を聞いてくれる人がいれば、また頑張れるのです。

心の中にあるそういった感情は、言葉にして誰かに聞いてもらうことによって楽になり、そうすることによってのみ自分を省みる段階に入ることができるように思います。

『理屈』、『常識』、『打開策』、そんなもの相手は全部わかってます。他人のアドバイスなんて最初から求めていない。

必要なのは、ただ黙って自分の気持ちを吐き出す場所なんですよね。

だから、話を聞いて欲しがっている相手が『アドバイスして欲しい』と言わない限りは、こちらからああでもないこうでもないと余計なことを言わないように気をつけるようになりました。

聞き役は『アドバイザー』ではなく『カウンセラー』になりましょう。

自分に言い聞かせている言葉です。

自分のことって見えにくいですね。

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