ビートたけしさんが書いた“嘲笑(ちょうしょう)”という詩があります。
玉置浩二さんが心を奪われて曲をつけ、のちにたけしさん本人が歌うことになる名曲です。
私は玉置浩二さんが歌っているものを聴いてからこの曲の存在を知ったのですが、自分も同じことを思って夜空を見上げてきたので、この詩を耳にした瞬間に涙が止まらなくなってしまいました。
なんで泣いているのか自分でもよくわからず、それ以前に、自分が泣いていることにもしばらく気付かなかったほど自然に涙がこぼれていました。
星を見るのが好きだ
夜空を見て考えるのが何より楽しい
百年前の人
千年前の人
一万年前の人
百万年前の人
いろんな人が見た星と 僕らが今見る星と
ほとんど変わりがない
それが嬉しい
(嘲笑/作詞:北野武 作曲:玉置浩二 より引用)
諸行無常という言葉があります。
この世の全てのものは常に変化するものであり、一瞬たりとも同じではいられないという意味ですが、普段は全く意識していなくても、誰しも心の奥の奥では、この世の全てが永久不変ではないことをわかっていると思います。
私たち人間及び命あるものの全てはみな、生まれた瞬間から死ぬことが決まっています。
出会いの先には避けられぬ別れが必ず来るし、形あるものは時間の差はあれど朽ちていくのが運命(さだめ)です。
そのことを忘れなければ、別れは、死は怖いものではなくなるのでしょうか?
私はとても怖いです。
今ある家庭が壊れるのが。
大切な家族が離れ離れになるのが。
自分が死んで、それによって家族たちを悲しませてしまうことが。
諸行無常だからこそ怖いのではないかと思うのです。
諸行無常だからこそ変わらないものは本当にないのか探し求めてしまうのだと思うのです。
今ある幸せが幸せであればあるほど、永久不変を願わずにはいられなくなってしまう。
だけど、それこそが人間らしさなのではないのでしょうか。
死ぬのが怖いと思える生き方、誰かを死なせたくないと思える感情は、人間であるからこそのものです。
永遠はない。
今ある幸せは永久には続かない。
でも、今は確かにまだここにある。
だから“今を大切にしなさい”と先人たちは繰り返し伝え続けているのでしょう。
今日も家族はいつもと同じ家に帰ってきて一息つくでしょう。
食卓を囲んでああでもないこうでもないと団欒する家族たち。
子どもたちはお父さんやお母さんのもとで安心して眠りにつくでしょう。
こんな日がいつまでも続くと当たり前に思っている人間達を、そんな地球を、何百万年もずーっと見てきた星達。
そして、そんな星々を何世代にも渡って見上げてきた私達。
いつも変わらずそこにあるもの。
この世で限りなく永久不変に近いもの。
だからこそ人は夜の星を見上げるのでしょう。
そして今夜も星は同じように輝くでしょう。
いろんな人が見た星と 僕らが今見る星と
ほとんど変わりがない
それが嬉しい。
(嘲笑/作詞:北野武 作曲:玉置浩二 より引用)